数値よりストーリーを求めている,ということなのかな,と自分で思います.
もし現実の風景を正確に記録することがカメラの良しあしを決めるとすれば,これはもう学術的な装置でありましょう.客観的にどういう周波数の電磁波がどのように分布していたかを記録する装置.この場合は,最終的に投じられる費用(装置が高度で巨大化したとすればその運搬や運用にかかる費用も含む)によって質が決まることになるでしょう.
プロカメラマンはビジネスとして要求仕様が明確でしょうが,素人は・・・高価な機材,大きく重い機材,妥協点を見つけるだけでは,あんまり楽しくない・・・
自動車の世界でも,SUVが「ハズシ」としてブームになったと言われているように,趣味の世界では世間の序列から脱却したい,だから歴史やストーリーに価値観を移す,ということなのかもしれません.
かつてコンパクトなフィルムカメラで撮った写真をいま見ると,色はノッペリしているし周辺は暗いしピントもふんわりしています.それでも,写したいものが写っているのだから,当時は何の不満も感じませんでした.
現代の優れたデジタルカメラが叩き出す,隅々まで高解像度な画像は,なんだかスーパーリアリズム絵画を見ているようです.我々の目の構造からして,現実には見えない映像を見せることができるから価値がある,という面もあると思いますが,そうでなくてもいい,とも思います.
追記:オールドレンズ=孫?
オールドレンズが身近なものになってくると,冷静な批評もでてきますよね・・・分かっていたことではあるのですが,要するにオールドレンズの「味」とは現代レンズからみれば「欠陥である」ということ.
しかし,オールドレンズがいとおしく感じるのは,その味というか欠陥というか「真剣にがんばったけど不出来」な点なわけですよね.これってもしかして「孫を愛でるような気分」なんでしょうか.
親は「這えば立て,立てば歩め」ですから,現代レンズは「子」を見る気分なのかも.
当方,まだ孫はいませんので,想像です.
α7IIとNIKKOR-S 5cm
さっそくα7IIにNIKKOR-S 50mmをつけて富岡製紙場に行ってきました.すっかり観光客対応もこなれてきて,富岡製糸場は楽しいスポットですね.ガイドの方々の熱い語りも面白く聞かせていただきました.
α6000と比べると,α7IIの高感度・手ぶれ補正は強力で,オールドレンズのプラットフォームとして非常に優れていると感じます(手ぶれ補正の焦点距離設定をお忘れなく).ただ,α6000に対して大きく重いため,縦構図で構える際はバッテリーグリップが欲しくなります.
祖父が1955年に購入したNIKKOR-S 5cm,α6000のときは中央部の像だけを見ていましたが,こうして「本来の画角」になると周辺部は結構辛いですね.尤も,昔の写真はこうだった,ということなのでしょうけど.
EVFの拡大機能やピーキングのおかげで(自己満足レベルの)ピント合わせに苦労はありませんが,絞りリングを回す際にレンズ本体を押さえる必要があるのは,このレンズの少々面倒な点です.
0 件のコメント:
コメントを投稿